人間関係

混迷の某国から人間関係について考察した備忘録。

架空の人間関係

幼いときに、ひとりで眠る夜が怖くて、頭のなかで、あたかもすぐそばにいるような友人を作った人もいるかもしれない。成長するにしたがって、自分も強くなって、現実の世界に友人もできると、そういう友人はふつう、役目を終えて消え去ってしまう。しかし、成長しても強くなれなかったり、友人と呼べる相手ができなかったときは、そういう想像の友人との付き合いが続いたり、アニメのキャラクターや、現実に存在する人のコピーや、そういうものたちを友として、現実をやりすごす人もいる。

 

そういう人たちは、親しい死者もいないし、他者としての自分も希薄で、友人もいないから親しい死者も思い出の人もできるはずもなく、架空の人間関係にはまりこんでしまう。必ずしもそれが悪いことではない。くずのような人間と付き合っていくよりは、架空の人間関係のほうがずっとましだ。しかし、現実の人間と架空の人間を比較したら、架空のほうが常にまさる。それは架空のほうが優れているからではなく、現実の野球選手とマンガの野球選手が試合をしたらマンガが勝つだろうが、じっさいにはマンガが現実になることはないのと同じで、ずるのようなものだ。

 

そのずるは、他人をおとしめるものではなく、自分をおとしめるにとどまっていれば無害でどうでもいいことだが、架空の人間関係を、現実の人間関係にもあてはめるような、逆転がおこると、有害になることがある。人間関係を都合よく、理想化してとらえてしまって、自分がくだらない人間なのを棚に上げて、他人がみんなくだらなく思えたり、敵に思えたりして攻撃的になる。

 

もしも自分が架空の友人に頼っているようだったら、まずはその友人を、親しい死者か思い出の友人に置きかえるところから、はじめてみる。そうして少しずつ、現実の人間に近づいていくことができる。