人間関係

混迷の某国から人間関係について考察した備忘録。

物との人間関係

物との関係を人間関係というのもおかしな話だが、物質的なものを擬人化して、あたかも人間的な、魂を持ったものであるかのように、接することがある。考えてみれば、人間も物質の集合には違いないのだから、人間との関係も、広い意味では物との関係といえるかもしれない。物を大事にする人は、人も大事にすることが多いような気がする。物を物としか扱わない人は、人を物として扱う傾向があるようだ。

 

物は、その性質上、絶対普遍ではないけれども、ものによっては、人間よりも信頼できることがある。人間が暗算をするより計算機のほうが信用できるし、人間が記憶するよりもパソコンのデータを信用するだろう。新幹線の運行をすべて人の手でやったら途方もない労力だろうが、自動制御できる部分が多いので、あれだけの正確さを持って運行できて信頼される。よく、「人間は物じゃない」とか、「ロボットじゃない」というようなことを、人間を肯定する意味で使う人がいるが、物やロボットのほうがはるかにマシなことのほうが多いのではないだろうか。

 

職場に友人を求めないとして、いっしょに働くなら、ミスもするし体調も崩すし気分屋な同僚よりも、美しく完璧で人当りのよいアンドロイドのほうがよいと思う。すでに多くの仕事を機械がやっているのはそのためで、機械は待遇への文句とか、機械同士のけんかや足の引っ張り合いをしない。物同士は規律が保たれる。これは人間も同じで、一見、冷血で無感動でロボットみたいな人たちのほうが、じつは他者を尊重してやさしさをもっていることがある。

 

バイクに乗ってひとり旅をしていると、バイクに話しかけることがある。自分のことばを受け止めるだけで、なにもいわず、自分の役割だけはたんたんとこなす。よい友人の定義をあげたときに、人間の友人よりバイクのほうが、きっと友人として上回る。物に魂を想像することは、物としての人間への想像力にもつながるが、それには人間は物であると理解していないといけない。人間は物であると理解したときにはじめて、ほんとうの意味での想像力が働く。