人間関係

混迷の某国から人間関係について考察した備忘録。

匿名の人間関係

このところのインターネットの発達で、匿名だけで成り立つ人間関係が、人によっては大きな比重を占めることがある。現実の社会でも、社会的地位を偽ることはできるし外見も多少は偽れるとしても、ネット社会ではそれと比較にならないくらい、嘘かほんとうかわからないことがあふれている。嘘かほんとうかを判断する力がないと、ネット社会で健全に生き抜くことはむずかしい。 ネットなど見ないほうがよい。

 

匿名性が暴力性を際立たせることがあって、ネットの問題点としてあげられることが多い。嘘を見抜けない人を標的にした犯罪の温床にもなりやすいかもしれない。しかしそれでも匿名ということに魅力があるから、怖いもの見たさの人が集まり、発言をするのは、いかにふだんの自分自身と、ほんとうに思っていることが乖離している人が多く、現実社会で隠されていることが多いということになる。

 

人間は外見ではなく内面だ、すれば、匿名の関係だけで信頼できるような人ができたらそれが一番なのかもしれないが、いざ現実に会ったりしてみると、想像と違っていておしまい、というような話もよくあることだ。匿名の関係では、自分の都合のよいように相手の欠けた情報を埋められる。じっさいは、匿名の関係を好む人たちは、現実の満足度が低い人が多いはずなので、都合のよい想像が機能することは少ないかもしれない。

 

日常生活で身近な人間には吐露できない言葉を吐き出し合う場所としてのみ、匿名の場所が使われるのだとしたら、それは平和的で、よいことかもしれない。お互いに匿名のままで分かり合えて、支え合える相手がいたら、きっと生きる心の支えになるだろう。 しかし、そこまでの関係ができたら、いずれ、相手がどんな人か知りたくなる。知ろうとしなければ、匿名の関係が疎遠になって消えるのもはやい。

 

匿名はしょせん匿名だから成り立つ心地よさなので、そこを踏み越えれば、ふつうの人間関係になる。