人間関係

混迷の某国から人間関係について考察した備忘録。

死者との人間関係

人間関係は、生きている人とは限らない。ときに生きている人以上に、死者が身近になることがある。

 

他人との物理的距離、ということで考えてみると、親しい友人だとしても、ほとんどの他人が人生の大半の時間、自分の視界の範囲外にいて、その存在はまさしく「心のなか」にいて、想像上の関係にすぎない。何年もあっていない友人がすでに他界していた、というのはよくある話だが、少し前に会ったばかりの人がすぐあとに亡くなっていた、それを知らされるまでその人が生きているつもりだった、というのもよくあることだ。

 

とくにSNSなどが発達した社会においては、ますます物理的な距離感と人間関係との相関は、あいまいになっていく。直接的にはまったくコミュニケーションをとっていなくても、なんとなくつながっているような気になる。あるいは匿名で不特定多数の相手に対してメッセージを発信するとき、それは死者に対するそれに似ているところがあるかもしれない。

 

人間関係が人類の最大の悩みだとすれば、もっとも癒しとなる他者は、生前よき人だった死者にちがいない。どんなによい人間でも、存在している他者であれば、いつか変わることもあるし、いつでも相手をしてくれるわけではない、ましてすべてに賛同してくれることもない。死者は、あるいは二度と会えないであろう懐かしい人たちは、「他者としての自分」のもっともそばにいる。必要なときにはいつでもそこにいて、これ以上変わることがないからもっとも信頼のおける他者になる。よき人のまま死んでいった人たちは、なんと慰めになる友人だろう。

 

死者のすべてがもっともよき友になるとは限らない。死者であるがゆえに、たとえばその死について責があったり、生前の関係が悪かったりすれば、常にそこにいる死者は、生きている人間以上にその人を苦しめることになる。自殺をした人にどんなに語りかけてみたところで、ほんとうのことはわからないし、素直になれぬまま死なせてしまった人にどんなに許しを乞うても、時間が死者の記憶の輪郭を解体するまでは、死者は生きていたとき以上のことを語れない。

 

死者がもっとも近い他者のひとりなるとわかっていれば、死んでいく定めのすべての人たちに、憎しみを向けることは自分を憎み、苦しめることになる。