人間関係

混迷の某国から人間関係について考察した備忘録。

ロボットと人間関係

このところ、実用的なロボットが家庭の中に入りこんできて、人気を博しているようだ。わたしもあまり掃除に気を遣うことがないので、某社の床拭きロボットを一台購入した。むろん完璧ではないにしても、さほど掃除に熱心でない人間がやるよりは、ずいぶんきれいになるものだ。

こうしたロボット以前にも、家電が生まれてから人間の生活は大きく変わってきたが、床拭きロボットが掃除をしやすいようなレイアウトにしてみたり、壁にぶつかりながらけなげに?掃除するロボットを見ていると自分もどこか掃除しようか、という気分になったりするのは、掃除をさせるためにロボットを買ったのに、ロボットのほうに自分が規定されているようだ。

スマホがあることで、人間の思考や行動がツールのほうに沿いだしたように、これからロボットを始めとした便利で有用なものが増えていけば、人間自身が選択する余地は、どんどん狭まっていくかもしれない。もし、無料のネットサービスと同様に、広告と引き換えにロボットが無料で家事全般をしてくれるサービスが出てきたら、それを使わない人は稀になるだろう。

もしかするとこれはロボットに限った話ではないのかもしれないが、直接的に人間の領域を侵す可能性があるという意味では、ロボットが有力候補だろう。これは、コストパフォーマンスに象徴される実利主義に大きく傾いた現代社会が行き着く、自然な結末でもあるのかもしれない。本人は自由に、もっともよいものを選択したつもりが、それは他の大多数も支持するものであり、画一的なものになる。

ガラケーで粘っていた人たちが、ガラケーのほうかむしろ高額になるためにしぶしぶスマホに切り替えていくように、なにかを選択させるためには禁止や罰を与える必要はない。ただ、ある選択肢を、ほかのものより魅力的にすればよい。大多数が一方に流れてしまえば、それが時代の流れになる。流れの中にいる人間に、選択の余地はない。