人間関係

混迷の某国から人間関係について考察した備忘録。

日大という大学とアメフトというスポーツ

日大のアメフト選手が犯した過剰な反則について、非常に大きなニュースになっている。世の中には、人を殺したり、強姦したり、半殺しにしたり、あるいはパレスチナ人がイスラエル軍に虐殺されたりしているが、ハタチの大学生のほうが大罪人のようにつるしあげられている。彼の禊が会見で済んだら、次は監督とコーチだ。

彼らがやったことは悪いことには違いない。もっと悪いことをしている連中がいるから、彼らが罰せられないという理由にはならない。しかし、国会で取り上げられ続けている「瑣末な」諸問題しかり、物事の本質と対応がずれすぎていないか。コンビニやファミレスの店員にはキレるのに、巨大すぎる社会悪、世界的な悪には、なにもできずにただ従うような連中のことである。

だいたい、日大という大学に、そして、アメフトをやっている人間に、一般的にそこまでなにか期待できる品位など、あるのか。今回のことで、そこまで「裏切られた」ことが本当にあったのか。あえていえば、日大など、学力でいえば三流以下であり、アメフトやラグビーは、体力バカで不遜な連中が幅を利かせる、いわゆる「体育会系」の最たるものだ。高級レストランで粗相があったのではけっしてなく、コンビニバイトがおでんに唾を吐いたとか、そういうレベルの話ではないか。

わたしも高校や大学の部活のそういった連中を知っているが、もちろん全員ではないにせよ、肉体的な優位は、力の優位は、おしなべて人間を傲慢にするものだ。その傲慢なやつらのトップクラスだった教員や指導者はひどく粗野な連中だったし、その教え子たちも信者じみていた。力のあるものがないものを理不尽にねじふせる構図の中に入れば、自分が上になれば神のような立場になる反面、上には決して逆らえない。だから、自分が上になれば、同じことを脈々と続けていく。

今回の問題で、日大アメフトOBなどからなかなか声が上がらなかったのも、結局は彼らは監督やコーチと同じ体質の人間であり、彼ら自身はまったくそうでなかった、などということはぜったいにありえないからだ。いずれにしても、会見をした加害学生以外は、世論の風向きが、権力者を完全に失墜させることが確実になってからしか、なんの行動も起こせないような連中である。

そして、日大執行部のひどさが、この大学の品位を代表している、と思われてしまうことは、日大生やOBにとって心外だろうが、数はたくさんいるのだから、なんらか実効的な行動があったかというと、そんなこともないようだ。

日大も、アメフトも、この世に不可欠でない存在だだから、この際、なくなってしまっても支障がないし、そもそもだれも期待などしていなかったのだから、「日大のアメフト部なら、まあ、そのくらいやってもおかしくはない」というほうが、感想としては実情に合っていて、自然な気がするのだが。なにもかもが不可欠でないからこそ、真摯にならなくてはいけないのではないか。