人間関係

混迷の某国から人間関係について考察した備忘録。

職場の人間関係2

とても嫌いな上司や、同僚や、部下がいて、それで仕事を辞めたくなったり、精神を病むほど悩んでいる人は多い。そういうときに考えなくてはいけないのは、それは本当に辞めれば解決する問題なのかどうか。自分が社員を全員選べる立場でないかぎり、自分がいっしょに働く人を、自分で選ぶことはできない。仮にいま、とてもいい人たちと働いていても、新しい人も入ってくるし、永久にそれが続くことはない。そもそも人間は変わる。仲がよかった人でさえ、月日が経てば、そうでなくなることはよくあることだ。

 

犯罪的なことについてはべつだが、単に馬があわないとか、自分の能力が足りないことが根本にあるとか、そういう理由であれば、どこに行っても同じことになる。原因が自分の中にあるので、どこまで逃げてもついてくる。

 

とくに最近は、ネットの発達でいろいろなことが簡単にできるようになったせいか、自己評価のやけに高い人が増えたように思える。社会に出てすぐに、自分は大きな責任や仕事を任せられる価値があると思い、そのように評価されないと「正当に評価されていない」と絶望する若者たちがいる。学生の最年長になってから、社会の最底辺に入っていくのだから、社会に出るにあたり、自分の立ち位置を正確に測りなおすことは重要だ。ネット社会は、グローバルな視野を身につける以上に、井の中の蛙を量産している。自分が簡単にできることは、他人も簡単にでき、簡単にできることでは他人と差別化できないという、簡単な論理を理解したほうがいい。ネット社会だからこそ、ネット以外の経験のほうが役に立つのは皮肉なことだ。

 

職場の評価に悩むのに年齢は関係ない。年を重ねても、いつまで経っても、他人の評価基準で生きているのは、情けないものだ。しかし、「正当な評価」とはなんだろうか。そのようなことを言う人は、「正当な評価をしてほしい」ではなく、「自分を評価してほしい」と正確にいう必要がある。けっきょく、自分が正しい、他人が間違っている、と言っているにすぎない。職場で下された評価はいつでも正当なのだと、謙虚になったほうがいいのは、そこは自分が選んだ職場であって、職場にいる上司や同僚や部下たちのレベルは、自分のレベルを映す鏡でもあるからだ。

 

口汚く「クソみたいな職場だ」というときに、その人は自分もクソの一部だということを忘れがちだ。上司に手柄を取られた、とか、ひいきがある、とか、「この上司でなければ」ということがあるが、その程度の上司の下でしか働けず、上司のさじ加減で変わる程度の力なのだから、気分を変えるために職場を変えるのでなければ、黙って懸命に働いたほうがよいかもしれない。